恥の多い生涯を送って来ました。

 これは人間失格の書き出しであり、この作品の代名詞ともなる文章だ。

 私は人間失格が好きだ。この背景には、鬱作品というような暗い作品が好きだからという理由がある。

暗い作品とは何だろうか。

誰もハッピーエンドにならない作品だろうか。

 

 中学生の時に、人間失格について読書感想文を書かされた。書かされた。当時の私は内容を理解せずに原稿用紙の穴埋めをすることだけに徹して書いた。

 正確にいうと、以下のように解釈した。

 主人公は真面目な人生を送ってこなかったこと。それがゆえに、最後は悪いことをして(精神病)になって、独房(精神病院)に閉じ込められた。薬の影響で、若いのにおじいさんのような姿になってしまったこと。

 この解釈に対して、私は以下のように感想を書いた。

 おじさんのような姿になってしまったのは、自業自得。独房に閉じ込められて、自分の人生を後悔している暇があったら、社会に貢献しろ。世の中には、ご飯食べたくても食べれない人などがたくさんいる。ボランティアでもしろ。努力しろ。甘えるな。

 この感想が、過去の私が今の私に向かってひたすら声をかけてくる。

 

過去の私は、純粋だ。今の私は、心が黒い。

過去の私は、前向きだ。今の私は、ひたすらに後ろ向きだ。

過去の私は、恋愛に夢を見てた。今の私は、恋愛に希望などない。

過去の私は、中毒という言葉を知らない。今の私は、煙草とカフェオレ、音楽に頼って生きている。

 今の私はちょっぴり大人になったとかいう言葉ですます気はない。

今の私が人間失格を改めて読むと、暗い部分を“あ~、わかるわかる”というような読み方をしてしまう。

 主人公は人の顔色を見て相手の望むままに行動し、相手の顔色を窺うことをお道化と呼び、それに対して良い感情をもっていなかった。私はこのお道化がうらやましい。お道化という皆に好かれるように努力できることに私は感銘を覚える。どうしても自慢話をしてしまう私には自分を抑え込む、そのお道化がほしくてほしくてたまらない。自慢話をやめたら、私は口を開かない。なんというわがままな性格だ。

 また彼は作品を世の中に発表できるだけの絵を描く才能がある。うらやましい。今ある感情を漫画にしたくても、こうやって、自己満足する文章を書くしかない。

 才能がある彼がうらやましい。今、私の感想は嫉妬の感情しかない。嫉妬する感情の裏に、努力もしないで何を言ってるんだという過去の私からの声が聞こえてくる。

 

 数年後、数十年後、死ぬ前に再び人間失格を読んで、何を思うのだろうか。

暗い作品には、面白いことや幸せなことを誇張することなく、主人公に起こった事実の一部を、主人公の感情を一部をリアルに描写されていると私は考えている。また、再び、人間失格を読んで感想をどこかに記したい。いつでもその時の感情を思い出して、その時の私がどういう人間か知るために。