かまってほしい

かまってかまってかまってかまってかまってかまってかまってかまってかまってかまってかまってかまってかまってかまってかまってかまってかまってかまってかまってほしい


この感情は、小学生の夏休みに、早く暇すぎて友達に会いたすぎて、休みをあけることを祈る気持ちに似ている。


寂しい。

こういう時相手してくれる恋人もいない。

例え、恋人を作っても、メンヘラ扱いされるのがわかってるから、作らない。

あんまり、人に迷惑はかけたくない。


それでも、恋人がほしい。好きだと言いたい。好きだと言われたい。一生あなたの事サポートするねって言いたい。私と一緒に生きていきたいと言われたい。


寂しいさみしい。毎日、退屈だ。


出合い系サイトを使って、話しても初対面って感じだ。

でも、そこを乗り越えないと、友達になれないから、我慢して話す。

当たり障りなく、相手が何に興味あるか、共通点を探しながら、書く。たくさんそういう事を考えると、「うん、「そだね」、だけを繰り返す人は、ちょっと苦手。

この期間を乗り越えると、会おうとか、通話とかする。通話は楽しい。会う人は、体目当てって感じが多い。そりゃあ、出合い系だもん。それなら、こっちも体目当てになるか逃げるしかない。純粋に遊ぶだけを繰り返した人もなかなか連絡とりにくくなる。なんか、たまーに純粋に遊びを楽しんでってなるけど、お互い忙しくなって、たまに連絡を再開するとなんかそっけない。で、疎遠に....。

たぶん、自分に問題あるんだけど、なんか続かない。友達を長く続けるって難しい。


出会い系も嫌になってきた。


そもそも、嫌な所を隠そうとして生きてるけど、どっかでバレてるんだろうね。もっともっと隠せる努力をしなければ。変わらなくては。

変わる気持ちだけが先行して、もうどこを治せばいいかわからない。


かまってかまってかまってかまってかまってかまってかまってかまってかまってかまってかまってかまってかまってかまってかまってかまってかまってかまってかまってかまってかまってかまってかまってかまってかまってかまってかまってかまってかまってかまってかまってかまってかまってかまって。


なんで、毎日何かしてても、寂しい気持ちになるの。さみしいんだよ。


さみしい。さみしいんだよ。


毎日、好きな人の隣で起きて、朝の準備して、好きな人に「おはよー」って起こして、仕事行って、帰って、2人で「ただいまー」って言って、2人でご飯作ったものを食べながら、「今日もお互いお疲れ様」ってしたい。好きな人が飲み会から帰ってきたら、「なんか飲み会後は、お前のこと思い出す、お前と話したくなる」って言われたい。休みの日は、2人で何かしたい。


やりたいこと多すぎ。相手に求めすぎ。わがままな私は、どこまで譲歩できるのかな。


普通の人になりたい。


普通の人になりたい。


普通って何。


今日もかまってほしいなって思いながら。


かまってかまってって言う人がいたら、かまってちゃん同士かまうよ。


今日もいきるのが嫌だった1日だった。


一人映画デビュー

 基本,私はかまってちゃんである。

 かまってちゃんを卒業すべく,一人できる楽しいことを探している。一人牛丼,一人ラーメンは,中学生・高校生時代から平気だ。一人○○の数を増やすべく,休みは時間を費やしていこう。

 今日は,一人映画をしてきた。映画館の中は,真っ暗で一人でいる姿を見られずにすむ。ただ、ケチな私はDVD出るまで待つ。しかし、友人と映画見にいくたびに、やっぱり大画面で見れるし音響も最高だな、と映画館で見るすばらしさを改めて感じさせられる。まあ、とりあえず、今日はものすごく暇だったので、一人映画館に挑戦した。

 一本見ては,時間に合わせて次の作品を見るって感じで,二本見た。まだ見たい作品があったが疲れたので,次にまわすことにした。

 

 漫画読んだ後,アイドルのライブを見た後って鬱になる。漫画を読んでいると,やっぱり世の中は暗いと思う。アイドルのライブを見ると,自分が汚く見える。こんなかわいいアイドルたちは純粋に夢を追いかけている。

 映画やドラマは,夢を諦めた自分がどうしようもない人間にみえる。くやしい、くやしいの感情でいっぱいになる。夢を追いかけることが人生の醍醐味であった私は,これからどうやって生きよう。夢を諦めて違う道に進んだ時,周りの人は次のように言う。

 「いつかこの道に進んでよかったと思う日がくる」

 絶対夢を諦めることを選んだ日のことは,後悔しかないし,忘れない。中学時代に第一志望の学校に落ちた時,大学の第一志望の学科に落ちた時は、「入ってから勉強する内容は一緒だし,まあ、ここでがんばろう」と思えたし,なんだかんだ環境に適応して,ここで良かったと思えた。でも,今回は違うのだ。なんか違うのだ。何年たっても,忘れない感情が強く残っている。

 

話が飛んだしまだまだ書きたいことはある。書いてるうちに悲しくなってきたから、途中だけど、書くのをやめる。

 

整形したぞっ!!!!

メスで入れる整形は初めてした。

むしろ、整形自体が初めてした。


昔から自分の顔が嫌い過ぎた。

顔が原因でイジメとかされたことはない。知らない人に通りすがりにブスって言われると、流石に傷つく。


小さい頃から整形するんだってお金貯めてきて、やっと手が出せた。


整形して、麻酔の効果がなくなった瞬間がとても痛かった。だから、もう整形はしないって決めた。

こう言いつつも、またどこがする気がする。


縫い目が痛くて痛くて辛い。

強い痛みって言うよりジンジンと伝わる。出来ないことも多い。


親バレとかも不安。

どうしてもどうしても一人暮らししたい

自分の家は比較的に裕福な家だ。

幼稚園の頃から私立に通い、小学生になれば塾に通う。

その後、私立の学校に通うと言えば、争うこともなく、進路は決定していた。

 

私は、小学生の頃から一人暮らしを夢見ていた。

自分のことは自分でする。そんな人をかっこいいと思い、本気で文集にも書いた。その夢の入り口は、大学生活だった。私のすることに初めて反対してきた家族の意見も押しのけて、一人で生活した。しかし、一人暮らしで自立というのは夢の夢だった。

食生活は、電子レンジでできるご飯と納豆。

洗濯物は溜まった時に気が向いたらする。

掃除を覚えるのに、4年かかった。

次第に、この生活を快適に覚え始めた。元々マイペースな私には性に合った。

 

メンタル面では、さみしいと思うことがあり、一人暮らしは向いていないのではないかと思った。実家暮らしで家族仲いい子の方がしっかりしているようだった。

大学でついていけなくなり、学校に通えなくなり、家族が迎えに来て、地元に連れ戻された。部屋も引き払った。

 

実家での生活が再び始まる。

言われた時に自分の身の回りのことを終わらせなければならない。

正直、だるい。普通の人はだるくてもこなしているのだが、私は私のペースでやりたくってしょうがない。

ここで、一人暮らしの快適さを思い出す。

 

時々気が向いたときに友達の家に泊まっているのだが、その生活が快適すぎる。泊まらせてもらっている分、掃除・洗濯・皿洗いをちょこちょこやっているのだが、文句ひとつ言わない。むしろ、すぐ気づいてくれてお礼さえ言われる。いやいや、泊まらせてもらっている身分ですから…と思いつつ。また、自分の課題している時は家事全般しなくても、「今課題で忙しいし、むしろやらなくても普段と変わらない」とさえ言ってくれる。友人は同姓なのだが、その友人と似た人を恋人にしたら私はうまくやっていけるのではないかと思いさえする。

家族に戻ってくるのを条件に友達の家に泊まっているが、帰る時がいやでしかたない。毒親というより甘やかしてくれる親だが、地元にいるのが、理由もなくいやだった。地元はそこまでの田舎というわけでもない。

そこで、地元に帰ると毎日一人暮らしした時のお金の計算をする毎日になった。

また、部屋を借りるには保証人が必要だ。保証人ではなく、保証会社を使うには定職につけばいいのか…?などととも考えた。(実際は知らないので、参考にはしないでいただきたい)

 

家族は、そこまでして一人暮らしをしたいのか、住む家があるだけありがたいことではないかと説得にかかる。時には、おいしい店に連れていき、「ここでは、毎日おいしい物食べさせてあげるよ」という。そうではないのだ。

米だけでも十分なのだ。着々に目標の地域に向かっているという実感があるのだ。

もっとも親の言い分としては、私のことがかわいくてしかたがないことと、私が学校から通えなくなった時の苦労はもうごめんだ、ということなんだろう。

 

地元に近づけば近づくほど、夢から遠ざかっているように感じる。私の住む場所はここではないとさえ思う。

 

今は親のおかげで生活できているものだ。感謝しなくてはならない。

そのために地元で生活すべきだと言い聞かせた。これを友人に伝えると、

「あなたは、感謝とやりたいことをするということをはき違えている。一緒ではない」

と言われた。そこで私はわがままと言われてもいいから、一人暮らししたいという自分を抑えることをやめたいという気持ちが芽生えた。

 

反対されるぐらいなら、こっそり一人で生活できるように計画たてるべきなのか。

なぜか実家にいると、無性に家を出たくてしかたない。唯一、私のことを無条件に味方になってくれるのに、それを切ってまで一人暮らしする価値はあるのか。お嬢さま育ちと言われてきた理由がわかるなって思う。

 

考えなしに家を飛び出て、また実家に連れ戻されることだけは避けたい。10年後、お金がなくて困っているというのだけは避けたい。

 

どうすればいいかわからない。自信喪失すぎて、自分で決められない。

恥の多い生涯を送って来ました。

 これは人間失格の書き出しであり、この作品の代名詞ともなる文章だ。

 私は人間失格が好きだ。この背景には、鬱作品というような暗い作品が好きだからという理由がある。

暗い作品とは何だろうか。

誰もハッピーエンドにならない作品だろうか。

 

 中学生の時に、人間失格について読書感想文を書かされた。書かされた。当時の私は内容を理解せずに原稿用紙の穴埋めをすることだけに徹して書いた。

 正確にいうと、以下のように解釈した。

 主人公は真面目な人生を送ってこなかったこと。それがゆえに、最後は悪いことをして(精神病)になって、独房(精神病院)に閉じ込められた。薬の影響で、若いのにおじいさんのような姿になってしまったこと。

 この解釈に対して、私は以下のように感想を書いた。

 おじさんのような姿になってしまったのは、自業自得。独房に閉じ込められて、自分の人生を後悔している暇があったら、社会に貢献しろ。世の中には、ご飯食べたくても食べれない人などがたくさんいる。ボランティアでもしろ。努力しろ。甘えるな。

 この感想が、過去の私が今の私に向かってひたすら声をかけてくる。

 

過去の私は、純粋だ。今の私は、心が黒い。

過去の私は、前向きだ。今の私は、ひたすらに後ろ向きだ。

過去の私は、恋愛に夢を見てた。今の私は、恋愛に希望などない。

過去の私は、中毒という言葉を知らない。今の私は、煙草とカフェオレ、音楽に頼って生きている。

 今の私はちょっぴり大人になったとかいう言葉ですます気はない。

今の私が人間失格を改めて読むと、暗い部分を“あ~、わかるわかる”というような読み方をしてしまう。

 主人公は人の顔色を見て相手の望むままに行動し、相手の顔色を窺うことをお道化と呼び、それに対して良い感情をもっていなかった。私はこのお道化がうらやましい。お道化という皆に好かれるように努力できることに私は感銘を覚える。どうしても自慢話をしてしまう私には自分を抑え込む、そのお道化がほしくてほしくてたまらない。自慢話をやめたら、私は口を開かない。なんというわがままな性格だ。

 また彼は作品を世の中に発表できるだけの絵を描く才能がある。うらやましい。今ある感情を漫画にしたくても、こうやって、自己満足する文章を書くしかない。

 才能がある彼がうらやましい。今、私の感想は嫉妬の感情しかない。嫉妬する感情の裏に、努力もしないで何を言ってるんだという過去の私からの声が聞こえてくる。

 

 数年後、数十年後、死ぬ前に再び人間失格を読んで、何を思うのだろうか。

暗い作品には、面白いことや幸せなことを誇張することなく、主人公に起こった事実の一部を、主人公の感情を一部をリアルに描写されていると私は考えている。また、再び、人間失格を読んで感想をどこかに記したい。いつでもその時の感情を思い出して、その時の私がどういう人間か知るために。